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なごやか日記

10月1日(木) 宇都宮餃子
    東京から東北新幹線に乗り約1時間弱で宇都宮に着く。昼ごろついたのでこの町で有名な「宇都宮みんみん」という店で餃子を食べる。なかなかの味で値段も手ごろである。今回の学会の会場(栃木県総合文化センター)から歩いても近い距離にある店だ。JR宇都宮駅から「大通り」をまっすぐ行った町の中心部にある「二荒山(ふたあらやま)神社」を訪れる。歴史の古い神社で、蝦夷平定にこの地にはいった「豊城人彦命」を祭ったもので、今から1600年以上前に作られたようだ。その由来から武運の神として祭られ、源頼朝や徳川家康が武運長久のため祈願したといわれている。

 このあと小児内分泌学会場にはいる。今回の会長である独協医大小児科教授の有坂治先生の開会の挨拶のあと、数々の口演発表がありどれも興味深いものであったがここでは省略する。学会初日の夜は名古屋から来た中堅―若手の先生と夕食。この町はジャズも盛んでいくつかのライブの店などがある。3人でその中の一つの店に入る(自由人とかいう店だった)。この日は演奏はなかったが、若き日の渡辺貞夫とこの店のマスターの少しくすんだ写真が印象的であった(渡辺貞夫はこの地の出身か)。
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9月30日(水) 東京女子医大
     明日より宇都宮で小児内分泌学会があるため、午前中の診療を済ませ午後より東京に向かう。以前より東京女子医大の小児科の勉強会で何か話しをとの依頼があったため、今回女子医大を始めて訪れる。東京女子医大といえば吉岡弥生女史により設立された歴史の古い伝統の有る日本を代表する医学部である。東京駅からタクシーで新宿へ約30分ほどで到着。内分泌センター、糖尿病センター、循環器センターなどの建物が立ち並ぶ大きな病院群である。これらのセンターとは道を挟んで反対側にある1号館という建物にはいる。少し古いが風格のあるこの建物はかつて外来や病棟などとして使われていたようだ(東京駅を設計した技術者によるとのことだった)。今回私を呼んでいただいた小児科の準教授(助教授)の永木茂先生が迎えてくれた。永木先生とは学会や研究会などでよくお会いする仲である(その縁で今回呼んでいただいた)。

 この建物の2階の一室に約25人ほどの小児科の先生方(医局員)が集まり、そこで私が米国留学中と帰国後に行った「成長ホルモン遺伝子の解析」についてお話させていただいた。今から10年以上も前の仕事で恐縮ではあったが、これらの研究の歴史的な背景などを説明させていただいた。当然のことながらここでは女性医師が多く、約1時簡にわたる私の話を聞いていただいた。私の拙い話がこれら若手の先生方の臨床の場で多少でも参考になれば幸いである。

この後、永木先生や関係者とで食事に向かう。赤坂にある沖縄料理の専門店で料理と泡盛などを堪能する。創始者の吉岡弥生先生が静岡県掛川市(大東町)の出身で、看護学部がこちらにあることなどが話題となる。掛川は私ども夫婦で時々訪れる町で、以外なところで女子医大との縁があったことを知る。貴重な体験をさせていただいた永木先生に感謝しつつ、東京駅近くのホテルに戻る。
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9月12日(土)  郡上鮎
   中学、高校時代の同級生のI君夫妻とK君、私たち夫婦の5人で郡上を訪れる。緑と水にあふれるこの町は一度行きたいと思っていたのだが、今回やっと実現した。私達はクリニックの外来終了後、PM2時ころ名古屋を車で出発し、東海北陸自動車道の郡上八幡ICを降りる。名古屋から約1時間半で本日の宿「吉田屋」に到着。蒲郡を出発したI夫妻と岡崎で合流したK君もほぼ同時に宿に到着。
 この「吉田屋」という料理旅館は歴史のある宿で、あの食通で有名な「北大路魯山人」や数々の文化人が訪れたようである。郡上を何度も訪れているI君が予約をしてくれた。私たちが通されたのも趣のあるしっとりとした和風の部屋で、中庭の緑が小雨にぬれて美しい。温泉ではないが、きれいな水を沸かした風呂を浴びたあと夕食となる。いよいよ今回の旅の最大の目的である「郡上鮎」の登場。天然の鮎というと小ぶりというイメージが強かったのだが、かなりの大きさである。さっぱりとしていながら鮎独特の香りが何ともいえない。この他にも味噌で味わう鮎や、刺身など鮎尽くしの料理を堪能する。「吉田屋」の鮎は友釣りでとれる地元でも最高のものである。たまたま先週東海テレビで、郡上に残る最後の鮎釣り名人が紹介されていた。この名人が釣る天然鮎がこの旅館に納められるようである。この鮎尽くしにすっかり満足した私は、いつもより早めに眠りにつく。
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8月30日(日) 「 一社アレルギー科・こどもクリニック」 開院
   鳥居新平先生と鳥居明子先生ご夫妻がアレルギー専門クリニックを開院されることになり、この日の内覧会に家内と共に出かけた。鳥居新平先生は名古屋大学医学部小児科の大先輩であり、小児アレルギーの診療・研究の第一人者であり、また私が上飯田第一病院小児科在職中に大変お世話になった先生である。クリニックは地下鉄「一社」駅から歩いて1-2分のバスターミナル向かいのビルの1階にあった。玄関を入るとすぐ右手に「花粉払落ブース」があるのが、いかにもアレルギー専門クリニックらしい。私も入ってみたが花粉を落とすだけでなく、衣服の消臭もできるようである。

清潔で明るいクリニックで、面積は私どものクリニックと同じくらいとお聞きしたが、天井が高い分より広く感じられる。この日は内覧会のためかカラフルな風船が置かれ、こども達もそれをもらって楽しそうにしている。診察室やレントゲン室も明るく工夫され使いやすそうである。また当然のことながら内装も「シックハウス」対策が十分なされている。

以前上飯田第一病院小児科に勤務していた看護師さんが常勤として活動するようである。鳥居新平先生は火曜日の上飯田第一病院のアレルギー外来は今後も続けられるとのことであった。「一社」に来ることはこれまで少なかったのだが、地下鉄駅の近くにはかなり多くのクリニックがある。鳥居先生のクリニックには名古屋市内あるいは県外からも多くのアレルギーの患者さんが訪れることだろう。いずれにしても市内の名東区と北区に信頼できるアレルギー科があることは、患者さんにとっても心強いことと思う。
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7月18日(土) 秘湯福地温泉(奥飛騨温泉郷)
   昨日に続き天候は今一つだが、朝宿を出て昼まで高山市内を歩く。高山へは何回も来ていて主なところは訪れているので、今回は「高山昭和館」という比較的地味な場所に立ち寄る。街中の一角にあるこの博物館は思ったより規模が大きく、昭和30年代の町並みが再現されている。電気屋、美容室、交番から学校の教室まで再現されている。ちょうど私が小学校低学年のころにあたり、懐かしいものがいくつかあった。中の映画館で「東京オリンピック」までの経過が白黒の映画で上映されていた。オリンピックに向けて急速に東京の街が開発されていく様子がよくわかる。そういえば私も小学校の体育館で「東京オリンピック」を皆と一緒に見たのを思い出す。昭和館から高山駅へ行く途中にある「飛騨国分寺」という古いお寺に立ち寄る。樹齢1200年を越すというみごとな巨木があった。偶然だが、この日の宵に中国出身で今は名古屋を中心に活動している「張濱」という私の知り合いの二胡奏者がこの寺の境内でコンサートを行うことを知る。私たちは昼から「平湯」方面へ移動するため参加できないが、張さんが活躍しているのはうれしいことだ。

 高山駅からバスで平湯へ向かう。平湯から新穂高温泉行きのバスに乗り換える。「福地温泉下」というバス停で降りると、今日の宿泊先である「湯元 長座」が目の前にある。山の斜面を利用したとても大きな宿で、面積は数千坪あるとのことだ。入り口から帳場までかなりの距離を歩く。どの建物も古い味わいのあるもので、梁などは非常に太く黒光りしている。私たちの泊まった部屋にも「囲炉裏」があり、広々として快適である。温泉は部屋からかなり歩いたところにあるが、浴槽は檜ばりで、お湯も大変良い。部屋からも温泉からも回りは美しい緑の自然がみられ、大自然の中にいるという感じになる。夕食も飛騨牛や地元の食材でおいしい料理を囲炉裏であぶりながら楽しむ(もちろん地酒も)。この食事中に宿のご主人が挨拶にみえる。この福地(ふくじ)温泉は歴史は古い(平安時代ころより)のだが温泉宿ができたのは比較的新しく、このご主人も元は農家だったのが40年くらい前にこの宿を作ったとのことであった。古い豪農の館を移築してできたのがこの「湯元 長座」である。この宿は一部温泉好きの間では有名で人気があり、「日本の秘湯」として登録されている。この夜は自然に包まれるようによく眠れた。
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7月17日(金) 少し早めの夏休み
   今年も17(金)、18(土)と夏休みをいただいて、クリニックを休診とさせていただいた。海外旅行に行きたいところだが、このインフルエンザ騒動の時には避けたほうがいいだろうということで、国内旅行となった。午前中家内と列車で名古屋を出発し、昼すぎに高山に到着。名古屋では暑かったのが高山駅で列車を降りると「ひんやり」とした感じ。市内を観光して本日の宿「宝生閣:ほうしょうかく」に入る。「城山公園」の麓の高台にあり、高山の街が見渡せる。和風のしっかりした旅館で料理もおいしい。廊下やエレベーター内まで畳が敷き詰められ、部屋から風呂までスリッパなしで(素足で)歩けるのが心地よい。夕食のあと宿の中にある「バーコーナー」に行こうと思っていたが、部屋に戻ったら温泉の心地よさもあってかいつの間にか眠ってしまった(昔はこういうことはなかったのだが)。
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7月16日(木) パリ祭り 2009
   この日の夕方(PM6:00より)名古屋・栄の愛知県芸術劇場にて「パリ祭 2009」が開催された。この「パリ祭」は東京や名古屋でほぼ毎年開催されているのだが、今回は大物や今話題のゲストを迎え華やかに開幕せれた。このブログでもおなじみで私の友人でもある「かとうえいこ」さんも出演するため、私と家内そして榊原洋子ちゃんなど何人かの友人と出かけた。ほぼ満席の会場で山本リンダの「夢みるシャンソン人形」「パリのあやつり人形」で第1部がスタートした。山本リンダといえば昔懐かしい歌手であるが、最近はこの「パリ祭」によく出演している。しかも今回は司会者も兼ねている。彼女は私より年上だったと思うが、あの日本人離れしたプロポーションは(確かハーフだったか)昔と変わらない。1部の中ほどでかとうえいこさんが「神の思いのままに」を歌った。そして1部の最後(トリ)は最近有名なあの「クミコ」さんだ。「モン・デュー」と「届かなかったラブレター」を独特のハスキーボイスで歌い上げる(後者はシャンソンではないが)。さすがに全国的にファンの多い歌手だけあって魂を揺さぶるような聞き応えがある。

 第2部はまた山本リンダの「巴里の屋根の下」ではじまる。ゲストの安奈淳(元宝塚)が「アコーディオン弾き」など、戸川昌子が面白おかしく「商売やめた」(この人はコメディアンだったか?)を歌う。そして今回のゲストのなかでも最大級の歌手は「雪村いづみ」である。この人は「美空ひばり」「江利ちえみ」などと当時三人娘として活躍した歌手で、今はかなりの年齢になるはずだ。「雪村いずみ」がまだ現役歌手として歌い続けていることをうかつにも知らなかった。さすがに見かけでは年齢を感じさせるが、歌声は昔のように若々しくはりのあるものだった。第2部の最後(オオトリ)はおなじみの菅原洋一で「バラ色の人生」を美しく歌い上げる。菅原洋一は「今日でお別れ」などで有名な人だが、最近はシャンソンをよく歌っている。

 今年のパリ祭は一緒に参加した友人たちも楽しんでくれたようだ。かとうえいこさんの歌が1曲だけだったのがやや残念ではあったが、あれだけの大物歌手が揃えばしかたないことか。とっくに60歳を超えた菅原洋一や雪村いずみがほんとうにすばらしい仕事をしているところを目の前にして、私などまだまだ努力しないといけないと感じた一晩だった(仕事、音楽、家族、酒?)。このあと榊原洋子ちゃんたちと夕食を兼ねた呑み会となったことはいうまでもない。

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7月4日(土) 3回目の七夕祭り
   今年で3回目となる「七夕会」をクリニック待合室でPM2:30より開く。15組以上のご家族に参加していただいた。毎回プロの音楽家に演奏をお願いしているのだが、今回はトランペットの西崎佳代子さん、ソプラノの山中敦子さん、ピアノの木戸恵理さんに来ていただいた。西崎さんはこれまで何度もクリニックで演奏していただいている、一児の母でもある。山中敦子さんはクリニックは今回が初めてであるが、愛知県立芸術大学大学院卒業後イタリア(ローマ)でオペラの研鑽後幅広く活躍しているソプラノ歌手である。木戸絵里さんも同大学大学院卒業でピアニストとして山中さんと演奏を行っている。前半はクラシックで「オペラアイーダより凱旋行進曲」「サンタルチア」「タイムトウセイグッバイ」などの本格的な演奏で、特に山中さんのソプラノはさすがプロで、こんな小さな会場で聞けるのは珍しいことだろう。後半は「となりのトトロ」「もののけ姫」「崖の上のポニョ」など子ども達にもなじみ深い曲で一緒に口ずさむお子さんもいた。最後は「ミュージカルマイフェアレディより踊り明かそう」で華やかにフィナーレとなった。

 音楽の後は保育士の森さんと鞆さんによる「絵本」の読み聞かせや、「おもちゃの楽器つくり」などで楽しい時を過ごす。それぞれ記念写真を撮り閉会となる。短い時間であったが皆さんが喜んででいただけたようで、私共スタッフにとってもほっとする瞬間であった。
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6月27日(土) はじめての接遇講座
     クリニックとして初めての「接遇講座」を受ける。この日の外来終了後「ウイル愛知」の会議室に私共クリニックより11名、北区にある「たいようこどもクリニック」と調剤薬局から数名が参加する。講師は元日本航空(JAL)のスチュワーデスで現在独立して接遇インストラクターをしている渡辺宣子さんである。「電話の対応」や「話し方」など具体的なこともさることながら、「相手の立場」にたって「心のこもった」おもてなしが重要なことを学ぶ。JALでの接遇の話はさすがプロ中のプロという徹底ぶりであった。参加者同士のロールプレイイングも楽しかった(患者さんとスタッフの役)。また現在はこのような講座を市役所や警察署などでも受けているということもお聞きした(そういえばこういうところでも対応が良くなっている)。私どものクリニックも接遇には力をいれてきたつもりであったが、更にレベルアップする必要性を感じた。

 ある製薬会社の後援で実現した講座だが、これからも続けてほしいという参加者からの声が多かった。また今後の課題もいくつか見つかった。このあと時間の余裕のある者でビアガーデン(中日ビル)に行く。この梅雨時、勉強の後のビールはいつにも増しておいしかった。
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5月9日(土) クリニック開設3周年
   私共クリニックは平成18年5月に開院して今年でちょうど3年目となる。これを記念して名古屋栄の「中日パレス」でPM6時よりPartyを開催した。約45名の方に参加していただいて、楽しいひと時を過ごした。院長より「クリニックが3年目を迎えられたのは、スタッフや患者さんも含め皆さんのご協力による」ことを感謝させていただいた。またこの5月に子育て支援などを主な活動とする「NPO法人なごやか親子ネット」も立ち上げることができ、理事長の上條浩子より報告と挨拶をさせていただいた。
   乾杯に続いて、クリニックの新しいあるいは去るスタッフのご挨拶をさせていただいた。私どもの会ではいつも音楽を楽しんでいるのだが、今回は名古屋を中心として活躍し、私共夫婦とも長年の友人である「かとうえいこ」さんにシャンソンを披露してもらった。ピアノとシンセサイザーをバックに「百万本のバラ」や「愛の賛歌」など日本人にもなじみの深い数曲を歌ってもらった。シャンソンは初めてという方も多く、もうベテランといってよい「かとうえいこ」さんのディナーショーのようになった。「榊原ようこ」夫妻にも、今回は歌手としてではなく招待客として参加していただいた。
   シャンソンを楽しんだ後、中日ビルより歩いていける距離にある店で二次会となる。ここにはカラオケがあり(最近こういう店は少なくなった)皆それぞれに好きな歌を歌って時を過ごす。「榊原ようこ」ちゃんも歌ってくれた(プロがカラオケを歌うのは珍しいことだが)。こうして宴会は夜更けまで続く。3周年を何とか迎えることはできたが、ヒトでいうとやっと3歳になったばかり。これから更にスタッフ一同努力して、地域の皆さんからより親しまれ必要とされるクりニックにしていきたいと思う。次は5周年をめざして・・・。
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4月26日(日) 萩原朔太郎
   昨日は天候に恵まれなかったが、今日は晴天である。内分泌学会は昨日で終了し今日は前橋市内を観光する。前橋市は群馬県の県庁所在地で市内を利根川が流れ「水と緑の町」として知られている。この町が詩人の萩原朔太郎の生まれ故郷であることは、こちらに来て初めて知った。朔太郎といえば大正・昭和期の「口語自由詩」を確立した詩人として高村光太郎とともに知られている。その詩は教科書にも載っていて、確か高校生のころ読んだ記憶がある。ホテルからタクシーで20分程で朔太郎の生家の一部を残した「朔太郎記念館」に行く。彼の父親は地元で有名な開業医であったようで、生家の見取り図を見ると診察室から病室まである。彼が詩作とマンドリンの演奏をした部屋(味噌蔵を改装)や蔵の中の遺品、北原白秋などが泊まったという離れなどを見る。この記念館は公園の一部にあり、まだ季節前であるがバラ園も訪ねる(バラの歴史などの展示が興味深い)。
  タクシーで市内に戻り、前橋文学館を訪れる。ここは記念館より規模が大きく、朔太郎の他にこの地の出身の詩人、作家などの紹介もされている。北原白秋(東京)や室生犀生(金沢)なども時々前橋を訪れたようである。彼の代表作である「月に吠える」や「青猫」の初版本や、生の原稿なども展示されている。彼の詩には近代人特有のの「孤独」あるいは「漂泊」といった印象がいつもつきまとっているように感じていたが、「音楽家を目指して東京に出るが夢はかなわず帰郷する」といった生い立ちを知ると背景がわかるような気がする。前橋という町は文学の町でもあることを実感した。
  午後高崎から上越新幹線で東京に戻り、名古屋には夕方到着。今回もあわただしい旅であったが、O先生との再会や前橋を知るよい機会であったと思う。
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4月25日(土) 前橋市
   朝東京駅より上越新幹線で高崎まで約1時間。普通列車に乗り換えて数分で「新前橋」駅に到着。今日の天気はあいにく雨である。参加登録を済ませ会場へ。一般口演を聞いたあと、午後のポスター発表へ。何人か知り合いの先生と会う。クリニカルアワー「バセドウ病と無痛性甲状腺炎の新しい鑑別法」に参加する。日本を代表する甲状腺治療の専門病院(東京、神戸)からの報告があった。カラードップラー法で甲状腺内あるいは近くの動脈の血流を測定し、バセドウ病では血流量の多いことが診断のポイントであるとのことであった。<br /> &nbsp; この後群馬大学小児科出身で現在は島根医大小児科に所属するO先生と再会。会場で待ち合わせO先生の行きつけの居酒屋へ行く。この店は和風$フランス風居酒屋という感じで特に鮮魚が豊富であった。また日本酒が多く揃っていて、酒飲みの私には嬉しい店である。日本各地からの珍味が集まり、「馬刺し」も美味であった。店主の山本さんは釣り好きで、三重県まで渓流釣りに行くとのことであった。O先生はこのあと高校の同窓会があるため、約1時間この店「ビストロ マソウーマソウ」にて歓談。このあとやはりO先生のお勧めの店でバーボンなどを飲みホテルに戻る。
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4月24日(金) 第82回 日本内分泌学会(群馬)に参加
   名大病院小児科の内分泌外来を終了して、PM3時すぎに名古屋を出発し本日は東京で宿泊し、明日前橋(群馬)に向かう予定。東京ではこのところよく泊まる赤坂のホテルに夕方到着。赤坂には「まつい」というまだ開店して1年を過ぎたばかりの鮨屋さんがある。ご主人は品川にある「たかはし」という鮨屋に勤めていて最近独立された。カウンター数席とテーブルが2,3席というこじんまりした店だが、江戸前の正統派で工夫を凝らした鮨が実にいい。今日は東京の大学をこの春卒業して、公認会計士を目指す甥(妹の長男)と二度目の来訪となる。カウンターが満席のため、今回はテーブル席となったが鮨の味には変わりない。「まつい鮨」を堪能して、以前よく行っていた店に寄る。ここは赤坂でも古いほうの店になるようで、内装もクラシックである。ママさんもややクラシックであるが(ごめんなさい)。またいわゆるギター弾き(後藤さん)がいて、この人のギターに合わせて歌うのが心地よい。昭和30年から40年代にかけてこのスタイルの店が多かったようだが、今はほとんどないと思われる。いつものことながら調子にのって数曲歌ってしまった。甥にとってははじめての経験だったようだ。甥をタクシーに乗せ、ホテルにもどる。
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4月19日(日) 久しぶりの奈良
   朝京都より近鉄で約35分奈良へ向かう。近鉄奈良駅から会場(奈良県立文化会館)までは徒歩で。会場では小児内分泌で知り合いの小児科医(京都、東京など)に会う。名古屋からの医師も何人か来ていた。学会参加は午前中のみ短時間で済ませ(学会長には申し訳ありませんが)、奈良の観光に移る。「奈良」といえば小学校の修学旅行で来て以来となる。ということは、四十数年ぶりに訪れるということになる。名古屋からのドクターとまず近場を回る。「人力車」に初めて乗ってみたが、天気もよく風も心地よい。さすが奈良だけあって鹿が多い(約1200頭くらいいるらしい)。まず「奈良国立博物館」に向かう。ちょうど「鑑真和上」展がひらかれていて、実物の「鑑真」像をみる。思っていたより小さな木像であるが、その柔らかな表情などまるで生きているようで、とても1000年以上前の作品とは思えない。「鑑真」といえば50代半ばで日本への渡航を志し、数回の失敗ののち盲目となりながらも日本に上陸したことはあまりに有名な話である。あの当時その年代で難破の可能性も高い日本への渡航を目指すというのは、命がけの途方もないことであったに違いない。現代だとさしずめ人類が月をめざすくらいのことであっただろう。そのころの「鑑真」はちょうど今の私と同じくらいの年代である。この「鑑真像」をみて私もまだまだ頑張れるぞと思った(体はやや疲れ気味であるが)。その後の日本の仏教の発展を考えると、この「鑑真」の来日と「唐招提寺」の建立は歴史上も重要なことである。最近の日本の仏教が元気のないように思えるのが残念であるが。この博物館より歩いていけるところに「東大寺」がある。聖武天皇により創建されたこのお寺はさすがにスケールが大きく、いわゆる「奈良の大仏」も巨大である。図体が大きい分、他の仏像と比べると全体に大雑把に感じる(大仏様ごめんなさい)。
  次に奈良国立博物館のすぐ隣りにある「興福寺」を訪れる。奈良時代(平城京)に藤原氏の氏寺として西暦714年に金堂が創建されたという歴史をもつ「興福寺」。あの少年のような顔立ちの「阿修羅」像が有名であるが、今は東京国立博物館に出展されていて残念ながら見ることができなかった。だがさすがに歴史のあるお寺だけに、「千手観音像」など教科書に載るような仏像が数多く展示されていた。興味深かったのは「聖徳太子 二歳像」である。このような像があることを知らなかったが、その姿(体形)は確かに2歳児の特徴を備えている。修学旅行の学生さんが多くみられた。このあとJR奈良駅より「法隆寺」駅まで行き、世界最古の木造建築である「法隆寺」(世界文化遺産)を訪ねる。小学校時代に一度きているはずだが、ほとんど記憶にない。推古天皇と聖徳太子が西暦607年に本尊の「薬師如来」を造られたのがこの「法隆寺」(斑鳩寺)の始まりのようだ。教科書に出ている仏像など(玉虫厨子など)が数多くあるこの寺でも「百済観音像」はひときわ輝きを放っている。日本の多くの仏像とちがって、八頭身のすらりとした姿と慈悲深い表情はいくら見ても見飽きない美しさである。法隆寺には当然のことながら聖徳太子の像や肖像画などが多く展示され、「二歳時」と「7歳時」の像があった。今日はかなり暖かく、「法隆寺駅」へ向かうバスを待つあいだに食べた「柿」ならぬ「抹茶」アイスが妙に懐かしい味であった。近鉄奈良駅より京都を経て新幹線で名古屋に戻るともう夜となっていた。
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4月18日(土) 第112回 日本小児科学会(奈良)
   17日(金)から始まった、小児科学会に参加した。といってもクリニックをあまり休めないため、18日(土)の午前中の外来を済ませてからPM3時過ぎの新幹線で京都に向かう。奈良で宿がとれなかったため、今日は京都に泊まる。夜は祇園にある「鮨 まつもと」という比較的新しい鮨屋さんに行く。ご主人によるとこの店は開店してまだ数年程度とのこと。ご主人は東京で修行したため鮨は「江戸前」である。こはだ、蛤、赤貝など「ねた」は新鮮で味は一級である。京都で「江戸前」鮨を食べるというのもなかなか面白い。奥さんも愛想よく、祇園という場所からくる敷居の高さを感じさせない。ご主人の出身は京都ではなく、神奈川とか言っていたので、それも関係するのかも知れない。ただ日本酒が2種類しか置いてなかったのが、酒飲みの私としてはやや残念であった。そのあと鴨川沿いにあるバーと、八坂神社近くにあるJazz Barでカクテルなどを飲む。後者の店は昨年だったか京都の学会に来た折に、トヨタ記念病院の若手小児科医たちと呑んで以来で懐かしい。京都駅近くのホテルに泊まる。
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3月20日(日) 内田修ジャズコレクション
   久しぶりに岡崎に来る機会があり、昨年完成した岡崎市の図書館(岡崎市図書館交流プラザ:Libra リブラ)を家内とともに訪れる。このリブラは国道1号線をはさんで向かいに(岡崎公園:岡崎城)があり「康生通」にも近いという一等地にある。広々とした明るい館内に100万冊の収蔵能力を持つということもさることながら、岡崎市出身の内田修先生の長年にわたるジャズコレクションが展示されていることがジャズファンだけでなく市民にとっても誇れることといえるだろう。
内田修先生はジャズの世界では「Dr.Jazz」として余りにも有名で説明する必要もないが、簡単に紹介しておこう。先生は名古屋大学医学部を卒業、第2外科に入局され関連病院で外科医として活動された後、1961年に実家の内田病院に外科を開設された。医学部在学中にジャズと出会われ、医療のかたわら日本のジャズの発展に貢献され、渡辺貞夫、日野皓正、山下洋輔といった今ではジャズ界の巨匠といえるミュージシャンを彼らの若い時から応援されたことは有名な話である。 リブラに入るとすぐ左手に「内田修ジャズコレクション展示室」がある。先生が集められた多くのジャズのレコード(約1万2000枚)やオープンリールテープなどが展示され、試聴コーナーでは貴重なジャズ(未発表作品も含め)をその場で聴くことができる。また内田病院の地下にあった「ドクターズ・スタジオ」が再現されている。その当時最高のオーディオもさることながら、ここは若き日のミュージシャンが演奏したり寛いだりしたオアシス的空間だったようである。
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3月1日(日) NPO法人「なごやか親子ネット」設立記念講演会
   私共クリニックでは子育て支援の活動を行っているのだが(離乳食クッキングなど)、これをさらに拡大するためにこの4月に新たにNPO法人を設立することとなった。これを記念して名古屋栄のナディアパークで講演会と手作り体験講座を開催した。この日は天気もよく21組のお子様連れのご家族に参加していただいた。
まず理事長(予定)の上條浩子よりこのNPOの主旨の説明と開会の挨拶をさせていただいて、講演会(2講演)に移る。最初の講演は総合上飯田第一病院小児科部長の後藤泰浩先生の「就学(園)までにすませておきたいワクチン」という題で、MR(麻疹・風疹)ワクチンを中心に話していただいた。このワクチンは以前は1歳時に1回のみの接種(第1期)であったが、現在は小学校入学前の1年間(第2期)に定期接種(公費)が行われている。幼稚園の年長児でまだこのワクチンを済ませていないお子さんは、この3月31日までに完了してほしい(それ以降は任意接種:有料となる)。また経過措置として中学1年生(第3期)と高校3年生相当の方(第4期)も定期接種:公費ができるので、やはり3月末までに済ませていただきたいことを強調された。従来麻疹(はしか)は子どもの病気であったが、1歳児での接種が普及したため子どもでの発症は少なくなり、むしろ大人(20-30歳代)に見られる傾向があるようだ。大人の麻疹は診断が容易でなく、時に重症となる症例が紹介された。またこのところ幼稚園などで流行している水痘(みずぼうそう)や流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)のワクチン(任意接種:有料)もできるだけ済ませてほしいとの話をされた。欧米に比べて立ち遅れている日本のワクチン接種の現状について具体的に解説された(米国では麻疹の発症は年間数十例とのこと)。
 ひき続いて岐阜女子大学教授の平松清美先生の「自信を持ってのびのび子育てしませんか!」―自立支援で心もからだも健康にーという講演に。小学校長など現場経験の豊富な平松先生らしく具体的で実践的なまたユーモアあふれるお話であった。自信のないお孫さんの例などあげられ、子どもが本来持っている能力や可能性を家族を含めた大人が引き出してあげることが重要であることを強調された。 せっかくの能力も「不安」「自尊心の欠如」などというマイナスの要因により伸ばされないことがあり、これらを取り除くのが親や教師など大人の役割である。また現代は子育てが孤立した環境で行われることが多く、家庭だけでなく地域のコミュニティとの連携も必要であることを話された。親と子がちょっとした工夫で楽しく遊べることも紹介された(紙とストローでできる簡単な遊びなど)。「子育てに一人で悩まないで、親として自信をもってのびのび育てましょう」ということで講演は終了した。今回のイベントのテーマである「子育ての輪を広げよう」にふさわしい講演であった。
 これらの講演と並行して「手作り体験講座」も行われた。「樹脂粘土でつくるカラフル小物」と「ドライフラワーでつくるフラワースイーツ」に多くのお子さんが参加した。女の子の参加が多かったが皆それぞれ楽しんでいた。会場が栄の中心部(松坂屋近く)であったためか、帰りには買い物や食事などをされる方が多かったようだ。4月にはこのNPOが正式に認可される見通しで、「子育て支援」の各種活動が開始される予定である。
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名古屋の小児科なごやか日記
  

12月31日(水) 大晦日

  朝食、朝風呂を済ませAM10時少し前に宿の送迎バスで鳥羽へ。荷物を駅のコインロッカーに預け、鳥羽水族館の近くにある「鳥羽オルゴール館」に行く。ここでは多くのオルゴールの展示販売のほかに、自分で好きなパーツを選んで体験できるコーナーがある。妹と姪は30分以上かけてオルゴール作りを行う。姪は海底をイメージさせる青を基調とした可愛らしいオルゴールを作成した。一方妹は森をテーマとした落ち着いた感じのオルゴールを私たちにプレゼントしてくれた(妹は創作ジュエリーの教室などをやっているのでプロのようなものだが)。

 次に「ミキモト真珠島」を訪れる。ここは何回も来ているが、養殖真珠の原理や加工など詳しく説明されている。美しい真珠を得るために多くの時間と労力が費やされていることがわかる。この真珠博物館の2階には真珠を使ったアンティークジュエリーが展示されている。200年以上も前のヨーロッパの作品まで紹介されている。こんな時代にヨーロッパで真珠(養殖ではなくて天然)が珍重されていたのだ。これらの古典的な作品が妹には創作ジュエリーの参考となったようだ。この後鳥羽駅の近くにある小さな店でひおき貝(地元では「あっぱ」という)、さざえ、牡蠣などを焼いてもらってその場で食べる。これも鳥羽へ来る楽しみの一つである。近鉄で名古屋にPM4時半ごろ到着。

 妹たちとは名古屋駅でわかれ、タクシーで栄にある元Be Vappのママのマンションに向かう。正月用のおせち料理を作ってもらったため立ち寄ったのだが、このブログでもおなじみの榊原洋子ちゃんやご主人の中井さん、武藤祐志君にひとみちゃんなどが来ており、一緒にビール、お酒などを呑む。いつものメンバーで盛り上がり、まるでBe Vappにいるような感じであった。ひとしきり楽しんだあと、3人の女性が作ってくれたおせち料理をいただいて家に帰る。今年は例年より賑やかで楽しい大晦日であった。

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名古屋の小児科なごやか日記
  

12月30日(火) 年末は温泉で

  29日(月)で今年最後の診療を終える。朝からPM5時半までの診療であったが、年末で休みにはいっている診療所もあるためか多くの患者さんに来ていただいた。今年はインフルエンザが各地で早い時期よりみられたが、少なくとも名古屋市北区ではそれほどではなく、むしろ罹患した患者さんは例年より少なめであった(そのほうがいいですね)。とにかくスタッフの皆さんや患者さんに支えられ1年の仕事を無事終えることができた。

 私共夫婦は正月に仕事が入ることが多いため、年末30日に温泉に泊まって体を休めることにしている。来年も1月は家内が1日当直(成田病院)、私が2日休日診療(北区:半日)の予定である。ここ数年の年末は鳥羽の温泉旅館に泊まることが多い。今年は私の妹と次女(姪)の4人で旅行をすることになった。昼すぎに近鉄名古屋駅をたち、PM3時前に鳥羽に到着。宿から迎えのマイクロバスで約25分くらいで到着。今回の宿は「味の宿 花椿」といって相差(おおさつ)の海岸に面した客室9室というこじんまりした宿である。早速温泉に入る。この地区には温泉の源泉はなく「榊原温泉」より湯を運んでいるとのこと。風呂も小さめだが榊原温泉の「アルカリ単純泉」はなかなか心地よい。

 風呂をあびてからいよいよ夕食となる。土地柄伊勢えび、ひらめ、あわび、さざえなど海の幸は豊富である。この宿のご主人が料理人ということで料理の質も良い。質もさることながら、食べきれないほどの量である。高校2年生の姪は体重を気にして普段は食事は控えめにしているようだが、この日は解禁とする。皇太子が好きな日本酒としても有名になった「黒龍:福井県(石田屋)」の端正なこくのある香りと刺身のさっぱりした味がよくあう。温泉でリラックスしたせいか、いつもより早く床に着き朝までぐっすりと眠れた(最近は朝4-5時くらいに目覚めてしまうことが多いのだが)。

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