なごやか日記
平成22年9月20日(月): 真福寺(しんぷくじ)の竹膳料理
昼すぎに訪れて、岡崎の山が見渡せる部屋で早速竹膳料理をいただく。旬の時期とはずれていたためか、人もまばらで静かななかで竹の子のさしみや、てんぷら、竹の子ごはんなどを楽しむ。コースにより刺身や鮎なども出される。久しぶりに竹の子を存分に味わったあと境内を散歩する。この寺のご本尊の薬師如来はその姿を水中から現したことが縁起となり(水体薬師)、その水が病気治癒のご利益があるとされている。特に眼病に効くとされ、この水が目薬として今でも販売されているようである。また1151年の火事の際に、白鳳時代に作成されたと伝わる仏頭も消失をのがれて安置されている(重要文化財)。
「竹の子料理を食べたい」という単純な発想から訪れた寺であったが、意外に古いこの寺の歴史に興味を覚えた。岡崎という街はその歴史からしてお寺や史跡などが多いことはある意味当然であるが、その中でもこの真福寺は別格といえるであろう。
仁王門 1410年に消失し後、1494年に再興された
参道
多宝塔 :室町時代に建立され、釈迦如来、多宝如来の二仏が安置されてい る。
大師堂: 鎌倉時代中期(1274年)に建立され(重要文化財)、本尊が 祭られている。歴代徳川将軍の位牌も安置されている。
竹膳料理(鮎と刺身は追加注文)
平成22年7月18日(日) 鞆の浦と坂本龍馬
午後船で尾道港を出る。「尾道―鞆の浦 海上クルージング」という約1時間弱の鞆港までの船旅で美しい瀬戸内海の風景を楽しむ。鞆の浦は万葉集にも詠まれる日本最古の港で、鎌倉・室町時代から江戸時代にかけて大いに栄えた当時としては大都市であった。港は意外に小規模だが、この港のシンボルである「常夜燈」が美しい。この港町を歩くと古い家や店舗がそのまま残っており、まるで江戸時代にタイムスリップしたようだ。当然のことながら路は狭く、坂道が多い。地元の人に案内してもらい、坂道を登ったところにある「鞆の浦歴史民俗資料館」に行く。ここは昔「鞆城」のあった後ということで、ここから鞆の街と港が見渡せる。江戸時代には多くの船が行きかい、朝鮮通信使が江戸へ向かう途中この港に立ち寄り、対潮楼(福禅寺)で瀬戸内海のすばらしい眺めを楽しんだとのことである(我々は時間の関係で訪れることができなかったが)。
港に面した古い蔵を利用した「いろは丸展示館」を訪れる。坂本龍馬が西洋式の蒸気船「いろは丸」に乗り込んで長崎から大坂へ向かう途中、紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突し、「いろは丸」は鞆港沖で沈没した(1867年4月)。龍馬は鞆の浦にとどまり紀州藩と損害賠償の交渉を行う。近年地元の調査グループが潜水調査を行い、いろは丸の部品や陶器類が引き上げられた。これらの物品がここに展示されていて、なかには古伊万里のぐい呑みなどもある(龍馬がこれで酒を飲み交わしたのだろうか)。その龍馬はこのわずか半年後京都で暗殺されることになる。短時間であるが「鞆の浦」の風景、歴史を楽しんだあとバスで福山駅へ向かう。福山から新幹線で名古屋に戻る。
今回の旅では私がこれまで訪れることが少なかった四国、山陽を歩くことができた。道後温泉に入れたのが最大の収穫であったが、聖徳太子、坂本龍馬、夏目漱石といった人物ゆかりの地をめぐる歴史の旅でもあった。鞆の浦はまた一度ゆっくり訪れたいところである。この間クリニックを休ませていただき患者さんにはご不便をおかけしましたことを、この場をかりてお詫びいたします。
尾道駅
おのみち映画資料館
林芙美子像
鞆の浦港の常夜燈
歴史民族資料館(鞆城あと)から街を見渡す
保命酒屋(太田家): ここで荷物を預かってもらった
平成22年7月17日(土) 「しまなみ海道」を渡る
ここで面白いことに気づいた。松山城は歴史的には1610年に築城された名古屋城に近く、藩の規模としては岡崎城の3倍くらい(岡崎は5万石)。名古屋(尾張)は徳川御三家の一つ(筆頭)であり、松山と岡崎は親藩(松平家)である。城を降りて「坂の上の雲ミュージアム」を訪れる。テレビドラマでも知られるようになった松山出身の秋山兄弟、正岡子規の生涯を描いた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を展示、紹介している。この後松山兄弟の生誕地にも立ち寄ってみた。明治に生きた彼らの志をうかがい知ることができた。午前中松山市内を見て歩き、昼過ぎに松山から今治へJR特急「しおかぜ」移動する(約40分)。今治から高速バス(しおなみライナー)で瀬戸内海を渡る。まず全長4.1kmと巨大な三連吊橋で美しい「来島海峡大橋」を通って大島、伯方島、大三島を通過、「多々羅大橋」を経て生口島、因島を通過、「因島大橋」を経て向島に入りここから「尾道大橋」を通って尾道市に入る。あいにく天気が悪かったが、晴れた日だったらこれらの橋と瀬戸内海の海がさらに美しかったであろう。愛媛県の今治市と広島県の尾道市を7つの橋で結ぶこの「しまなみ海道」はそのスケールも美しさも想像以上のものであった。四国と山陽を結ぶ3つのルートはよく「ムダ」といわれるが、それにしてもよくこれだけのものを作ったものだと思う。 尾道は瀬戸内海に面した歴史のある商業都市であるが、いろいろな映画の舞台にもなっていて「映画の町」とも呼ばれている。映画好きの私たちとしてはぜひ訪れたい町であった。
今日は尾道市内のホテルにとまり、明日はいろいろと見て回る予定である。
道後温泉の足湯
松山市内を走る「坊ちゃん電車」

優雅な姿の松山城
「坂の上の雲」の秋山兄弟と正岡子規。隣りは坂の下の狸と狐??
松山駅: 昔ながらのレトロな感じがいい(最近どの駅もモダンだが画一的
になってしまった)。
松山発の特急「しおかぜ」の天井:おなじみのアンパンマンたち
高速バス「しまなみ」で「しまなみ海道」をゆく
因島大橋を渡ると向島、尾道へ。
平成22年 7月16日(金) 小雨ふる道後温泉
念願であった道後温泉に入ったあと、本日の宿「ふなや」に歩いてもどる。創業370年余りというこの老舗旅館は改装され(1993年)、現在は近代的な旅館となっている。約1500坪といわれる日本庭園は、庭というより森林といったほうがよさそうだ。昭和25年以降は天皇や皇族の方々はこの旅館に泊まられるようだ。瀬戸内海の魚介類を中心とした京風の会席料理を楽しんだあと、歴史あるこの地で眠りにつく。
「にわか雨 傘かりてゆく 道後の湯 隆」
鳴門駅を出発(徳島駅へ)。駅の近くに「うずしお眼科」というクリニッ
クがあった。鳴門らしいが、なんだか目が回りそう(失礼!)
道後温泉本館。中央後方の楼の上に白鷺の像がみえる。

本日の宿「ふなや」の玄関
「ふなや」の夕食
道後温泉の時計台。 「坊ちゃん」のマドンナ、赤シャツなどが登場する
(もちろん坊ちゃんも)
平成22年7月15日(木) 鳴門の渦潮
エクシブXIV系のホテル(リゾートトラスト株)を利用するのは今回が初めてで、担当者がスウィートルームを用意してくれていた。さすがにこのヨーロッパ調の部屋はシャンデリアなど豪華で、広さも十分で二人で泊まるのはもったいない程である(4,5人でも泊まれそう)。温泉(スパ)は別の建物にあり、シャトルバスで移動する。このホテルは海岸に面した山側の高台にあるので、このスパより海(瀬戸内海)が見渡せる。短時間ではあるが、まさに王侯貴族?の気分である。普段高めの血圧も少し下がったような気がした(願望)。
このあと夕食となる。いろいろなコースがあるが、日本酒を味わいたく和食(懐石)にする。味もよく上品で洗練された料理で、料亭並みである。地元の日本酒を頼んでみたが、残念ながらこれといえるほどのものではなかった(徳島にもいいお酒はあると思うのだが)。それにしてもこの日はリラックスして床に付く。
グランドエクシブ 鳴門
ホテル玄関からの眺め

夕食: 繊細な和食(懐石料理)を堪能する
平成22年6月25日(金) 居酒屋:千酔漢(せんすいかん)
おつまみ類はごく平凡だが、この店のすごいところは質の高い日本酒(吟醸酒)がずらりと並んでいることである。愛知県を代表する「蓬莱泉」「義侠」「醸し人・九平次」をはじめ「十四代:山形」「磯自慢:静岡」「黒龍:福井」など私の好きな吟醸酒がそろっている。また吟醸酒の最高峰といってもいい「獺祭(だっさい):山口」がおいてあるのは感激である。高級料亭ではない居酒屋でこれだけの日本酒を揃えてあるところは名古屋でもそれほど多くないだろう。
金曜日の夜、夜間外来のあと(PM9時ころ)ふらっとこの店に立ち寄ることが多い。この店の大将や女将さんたちとも長い付き合いで、いつも気楽に呑ませてもらっている。昔の看板やアンテイークなどに囲まれて呑んでいると、暖かくで心地よくなるのは私だけではないであろう。
「1000酔漢」の入り口
「醸し人 九平次」 名古屋 ( 緑区 ) の酒。ここ数年で名古屋から頭角をあらわし全国的にも評価されている。

「蓬莱泉 空」愛知県奥三河の酒(関谷酒造) 愛知県を代表する吟醸酒として「空」「美」「朋」などがある。
「義侠」愛知県佐屋郡のお酒。酒米の「山田錦」を厳選する蔵で、日本酒らしいしっかりとした味わいは長く地元の酒飲みに愛されている。
この店の酒ケース。手に入りにくい酒がところ狭しと並べられている。これらのお酒の顔ぶれを見るとたいていの日本酒好きは感動する。このケースの前のカウンター席が私の指定席である。先に紹介した愛知県の3種の名酒のほか「十四代」「磯自慢」「黒龍」などが並んでいる。
5月4日(火)室生寺の石楠花
ここからかなり急な石段を登ると(なかなかしんどい)本堂(国宝)にたどり着く。ここは真言密教で最も重要な儀式である「灌頂」が行われる場所とのことだ。この本堂には厨司に如意輪観音像(重文)が安置されている。ここでしばらく休憩のあと、石段を下ると五重塔(国宝)が目に入る。この優雅な塔は屋外の五重塔としては最も小さく、古さは法隆寺の五重塔につぐものであるという。この塔の周囲にも石楠花が咲いている。室生寺からバスで室生寺参詣の四門のうちの西門である大野寺を訪れたあと、大野駅まで歩いて近鉄で帰路へ。名張で特急に乗り換えて名古屋にもどる。
今回は一泊二日と短かったものの天気もよく、花々と優雅な仏像達と出会えた旅であった。また日本の歴史の古さと重さをあらためて確認させる旅でもあった。
「石楠花(しゃくなげ)に 埋もれておわす 釈迦如来 隆」
表門;ここを右に進むと仁王門にいたる
仁王門
鎧坂: 石段の両側の緑と石楠花が春らしい。坂の上に金堂がみえる。
五重塔(国宝): 新緑と石楠花に包まれた優雅な塔
御影堂: 長い石段を上がるとここに付く。向かいに本堂(国宝)がある。
石段を下る。
十一面観音様のお地蔵さん:
お賽銭として「11円」が置かれていた!
金堂(国宝): 本尊の釈迦如来像(国宝)を中心とした五尊像を拝観する ため、多くの人が並ぶ。威厳の中にも優美さをたたえるこの「釈迦如来」を写真でお 見せるできないのが残念である。
5月3日(月) 奈良大和路の長谷寺
山の斜面に作られた境内はゆるやかな上り坂になっている。この時期らしく新緑がまぶしく「花の御寺」といわれるだけあって、いろいろな花が美しい。なかでも「ぼたん」が有名で、いろんな色のぼたんが咲きみだれている。それにしてもこれだけの種類とボリュームのぼたんをみるのは初めてのことである。この寺は真言宗豊山派の総本山で、その歴史は西暦686年に道明上人が天武天皇のためにこの地に仏塔を建立したのが始まりで、その後727年道徳上人が聖武天皇の勅により二十一面観音をおまつりし、以来1300年余り経た今日でも多くの人々の信仰を集めている。
ご本尊の「十一面観世音菩薩像」(重要文化財)は巨大で下のほうから見上げても、そのお顔を拝することはできない。木造の仏像としては日本最大のものであるという。その他国宝級の仏像や絵画(歴代徳川将軍の肖像画)など多数存在するが、限られた時間内に全部を見ることはできなかった。この観音が安置される本堂(国宝)から眺める山の緑がより生き生きと感じる。夕方には宿にもどり山菜の豊富な食事と温泉にはいれたためか、朝までぐっすりと眠れた。
「ぼたんひとつ おちるか 初瀬の寺 隆」
長谷寺の入り口: 仁王門
紀貫之(866-945)の歌碑。紀貫之が長谷寺を訪れた際に詠まれた詩といわれる。 故里の梅 人はいさ心も知らず 故里の 花ぞ昔の 香にほいける(古今集)
御本尊「十一面観世音菩薩」の案内図: この観音像は高さが10m以上 あり、木像仏として日本最大である。
本堂(国宝)を背景に咲き乱れる種々の牡丹
一輪の牡丹: 中国(唐)の皇帝より贈られた数本の献木が始まりのよう である。
平成22年4 月 18 日(日)ファミリーメンタルクリニック
(天白区;原)開院
近年お子さんの発達障害( ADHD など)が話題となることが多いが、この分野の専門家(児童精神科)である河村雄一先生が独立開業され、この日に内覧会を開かれたので家内と出かける。地下鉄鶴舞線「原」駅より歩いて2-3分という便利なビルの 1 階にクリニックはあった。内覧会の最後近くの時間帯であったためか、河村先生ご夫妻に案内していただいた。広さは私共のクリニックと同じくらいの40坪くらいかと思われるが、全体的に明るく清潔な印象である。診察室のほか、面談室、心理検査室などがあるのが一般のクリニックとは違うところだ。またプレイルームも広々としている。
河村先生は名古屋大学医学部の児童精神科のご出身で、「豊田市こども発達センター」などで勤務され小児の自閉症などの発達障害の経験豊富な先生である。愛知県、名古屋市でもこの分野の専門医は少なく、お子さんの発達障害で受診しようとすると予約が何ヶ月、時には 1 年以上先になることもまれではない。私のクリニックでも時々発達障害のご相談を受けるのだが、適当な紹介先が少なくて困ることが多い。これからは河村先生にご相談あるいは紹介させていただけると思う。名古屋市内の発達障害のお子さんを持つご家族には朗報といってもよいだろう。ただこのクリニックでも、開院の時点で予約が1-2か月先とのことであった。
以前(といっても20年以上前のことだが)地下鉄「植田」駅の近くに住んでいたので、この「原」駅周辺もなつかしいところである。この近くにある子どもの本とおもちゃの専門店で、私のクリニック用のおもちゃを購入する。河村先生は土曜午後、日曜午前も診療をされるということで(私など頭の下がる思いだ)、ご家族にとっても大変便利なことだと思われる。お父さんも一緒に受診できそうだ。この「ファミリーメンタルクリニック」は成人の心療内科もされるので、地元天白区だけでなく名古屋市および周辺の人々にとっても「こころの家庭医」として頼られる存在になるであろう。
「ファミリーメンタルクリニック」玄関 :名古屋市天白区 原
心理検査室; マジックミラーあり
河村雄一先生とともに: 体形の違いが一目瞭然
平成22年4月10日(土) 「志ら玉」で会食
この店は古くからあったかと思っていたのだが、意外にも戦後(太平洋戦争)上飯 田で初代女将(今も現役)が小さな店を開いたのがはじまりだという。この初代女将 の姪に当たる若女将が今は活躍している。この日も若女将が我々を出迎えてくれた。 この言語聴覚士の資格をもつ若女将とはいささかの縁がある。彼女のお子さん(女児 と男児2名)を上飯田時代から現在のクリニックでも診させてもらっている。
多くの座敷があるのだが、どれも古くて趣がある。名古屋市内の商家や奥三河の古 民家を移築したものである。また有名な陶芸家(人間国宝級)の作品も備えられ、お 茶会などで利用されているとのことだ。姪にとってはこういうところは初めてのよう で、それなりに楽しんでくれたようだ。ちなみにこの姪は私と同じでお酒も食事も大 好き人間である。私がこの「志ら玉に」初めて来た(つれてきてもらった)のは国立 名古屋病院(現名古屋医療センター)の研修医のころだったと思うので、かれこれ3 0年くらい前のことになる。
いずれにしてもこのような料亭が近くにあるというのはうれしいことである。あと 十数年すると若女将の長女が次の若女将になっているかも知れない(そのころ私が生 きているかどうかわからないが)などと想像するのも楽しい。
最後に1句?
「志ら玉 で百春をのむ春の宵」
志ら玉の玄関 名古屋市北区上飯田
稚鮎
ひな人形と若女将(柴山尚子さん):3月に撮影
平成22年4月4日(日)八事興正寺の桜
この寺から自宅までは歩くこととした。地下鉄「いりなか」駅近くの「隼人池」の周りにも桜が咲いていた。桜の若芽が春の息吹を感じさせる。ここから「山中」の交差点を左に折れ、「川名」の我が家にいたる。途中休みをいれながら30分くらいは歩いただろうか。このところ運動不足気味の私にとっては心地よい体験であった。
この桜をみていたら昔作った句?が浮かんできた。
「花あるときは花に酔ひ 風あるときは風に酔ふ」
五重の塔と桜
隼人池の桜
桜の若芽
平成22年4月3日(土) クリニック送別会:旅立ちの時
もう一人の若者は名古屋学芸大学の学生さん(であった)のKさんである。彼女は昨年の冬より夜間外来の医療事務の補助(パート)として活躍してもらった。まじめで、控えめな女性ながらクリニックの受付業務などを卒なくこなしてくれた。大学を無事卒業し、この春より愛知県内の高校に養護教諭として赴任することに決まった。Kさんも年齢よりも若くみられがちで、おっさんのような高校生男子の中では女子生徒と間違えられないか?と変な心配をしてしまう。看護師のNさんは短期間であったが土曜日の外来を手伝っていただいた(パート)。彼女は大病院での小児科の経験があり、患者さんにも優しく勤務時間は少ないもののクリニックの戦力となっていただいた。この春よりもともと所属している名東区にある小児科クリニックでフルに勤務することになる。昨年の秋に地下鉄「一社」駅近くに開院したこのクリニックの院長先生は私の出身である名古屋大学小児科医局の大先輩であり、副院長の奥様とともに家族ぐるみでお付き合いさせていただいている。Nさんもこのクリニックでその実力を発揮してくれることと思う。
彼女たちのような若者にも(ベテランスタッフはもちろんだが)私どものクリニックが支えられていたことを改めて感じる。このクリニックでの経験が少しでも彼女たちのこれからの仕事や生活の上でプラスになってくれればと祈っている。Nさん(新人看護師)、Kさん(養護教諭)、Nさん(中堅看護師)どうもありがとう。
送別の3人: 右より Nさん(中堅看護師)、Kさん(養護教諭)、上條、Nさん(新人看護師)
全員集合
子どもたちも一緒に
平成22年 1月1日 名古屋市内で初詣
朝日神社 :名古屋市中区錦3丁目
真言宗 福生院(袋町お聖天)
続いて「桜天神」を訪れる。名古屋市内を東西に走る「桜通り」の由来になった神社と聞いてはいたのだが、実際にお参りしたのは今回が初めてである。桜通り沿いの高層ビルの間にあるこじんまりした神社で、車で通ると見逃してしまいそうなところである。
織田信長の父信秀が菅原道真公(845-903)を信仰し那古野城にその木像を祭ったのものが、1538年に現在の地に移されたのがその由来とされている。江戸時代に福島正則が制札を立て、加藤清正がここを本陣として名古屋城築城の指揮をとったとのことである。当時ここは桜の名所で、桜木の下に掘られた井戸が「天神の井戸」として当時名古屋三名水のひとつとされたようである。道真公はいわずと知れた学問の神であり、現在でも多くの大学などの受験生の合格祈願の札がかけられている。今回のお参りで、400年以上も前に設けられたこの神社(道真公)が受験生を通じて脈々と信仰されていることを感じた。
名古屋城築城当時は東西南北10本の道路(碁盤割り)があり、そのほぼ中心にこの「桜天神」が位置している(桜通りと本町通りの交差点付近)。また上野天満宮(千種区)と山田天満宮(北区)とあわせて「名古屋三大天神」と呼ばれていることも今回知った。梅や桜の時期にまた訪れてみたい神社である。
桜天神 名古屋市中区錦2丁目
12月31日(木) 志摩の雪
賢島駅にて。近鉄特急で名古屋に戻る。
12月30日(水)志摩観光ホテル
旧館に戻り夕食となる。あわびなど海の幸の豊富なフランス料理はさすがである。ワインもおいしい。ただすごく驚くほど美味しいというわけでもなかった。名古屋でも最近は優れたフランス料理の店がいくつかあり、私たちがそれらに慣れてきたせいかもしれない。「ラ・メール」というこのホテルのメインダイニングでどこかでみたことのある人も見かけた(芸能人?)。それにしてもこの歴史あるホテルで食事をして、ゆっくり眠ることができた(ホテルのため温泉がなかったのは残念であったが)。
ホテルの玄関
ホテル全景
「ラ・メール」にて夕食
伊勢えび
あわびのステーキ
11月28日(土) 錦の鮨屋「うさぎ」
この店は現在の場所に移って12年となるとのことだった。私はここに移転する2,3年前から来ているので通算すると15年くらい通ったことになる。大将は大阪で修行して名古屋で店を開いたということで、関西の散らし寿司も美味しくまた江戸前の鮨も絶品である。江戸前の「まぐろ」のづけ(まぐろを醤油で浸したもの)はこの店の名物といってもいいくらいである。実際私もこの店で始めてこの「づけ」を体験した。
「うさぎ」という店名の由来を一度聞いたことがあるが、大将のお姉さんと奥さんが「うさぎ年」であることから命名されたようだ。どちらかというと無口で淡々と鮨を握る大将と、明るくて社交的な奥さんのコンビはなかなかなものである。また大将は「大相撲」と何らかの関係があるようで、横綱の朝青龍がこの店を訪れたときの写真が飾ってある。
長年にわたっておいしい鮨を握ってくれた大将には、ご苦労様といいたい。鮨だけでなく、茶碗蒸しや各種珍味(「ばちこ」など)もこの店独特のものである。またあまりプロが握らない「いなり寿司」もおいしかった。ぜひ腎機能を回復されて、またいつかどこかで鮨を握ってほしいと願うのは私たちだけではないであろう。今日は私たち夫婦以外にも、長年の常連さんが「うさぎ」での最後の鮨を楽しむために集まった(静岡から来たお客さんもあった)。今日は息子さんが手伝いにきていた。大将や奥さんとのまたの再会を期待しつつ店を出る。
鮨ねたケース: こはだ、えび、しゃこなど
仕事中の大将と奥さん
ねたを選ぶ大将
鮨(いなり、あなご)。
日本酒 「契(大吟醸)」サカツコーポレー ション(本社、名古屋)
珍味「ばちこ」(なまこの卵巣の干物:大将の手作り)。
私もここで初め て体験。その形が三味線の「ばち」に
似ていることから「ばちこ」と呼ばれるようだ。
店の前で奥さんとともに。さようなら「うさぎ」さん。
10月11日(日) ハロウィン祭り&講演会
6階では子どもに関する2つの講演が行われた。まず清流みずほ幼稚園(瑞穂市)の加納大裕先生による「子どもをよくする7つの魔法」というお話であった。加納先生は自然や日本の伝統などを取り入れた、独特の幼児教育(リーベリー教育)を実践されている。「子どもに対してせかせず、何事もゆっくりさせるといろいろなことができる」ことや「音楽(リズム)とともにお手伝いをしてもらう」ことなど、子育てにも役に立つ内容のお話であった。「夜は早く寝て、生活のリズムを安定させること」が重要という点は私たち小児科医と同じ意見であった。子どもであっても「本物」を体験させるという先生の理念が伝わる講演であった。
続いて安原こどもクリニック(寝屋川市)院長の安原昭博先生が「発達障害の子ども達とのつきあい方」という講演をされる。安原先生は長年にわたり発達障害のお子さんを診られていて、その体験からのお話は興味深いものであった。ADHDのお子さんは特別な才能をもつことも珍しくなく、発明王のエジソンやアインシュタインもADHDであった可能性が高いとのことであった。発達障害のお子さんも適切な指導を受ければその才能を発揮することができるという前向きな話であった。安原先生のユニークな視点からの講演お聞きして、ADHDや自閉症が身近に感じられるようになった。
清流みずほ幼稚園 園長 加納大裕 先生
10月3日(土)学会最終日
このあとのシンポジウムは「1型糖尿病の新しい治療法(CSII):川村先生」と「思春期発来異常:田島先生」に関するもので、どちらも興味深いものであった。来年の本学会は大阪で藤田敬之助先生が担当される旨を報告される。最後に会長の有坂治先生が閉会の挨拶をされ学会は終了となった(事務局長の小山さとみ先生もご苦労様でした)。夕方某製薬会社が主催する研究会に出席する。小児内分泌分野での経験豊富な先生方(開業医)が全国より一堂に会する、迫力のある研究会の発足であった。この後2,3人でやはり「泉町通り」に繰り出しお酒を楽しみ、やや疲れ気味の私はホテルに戻り眠りにつく。明日は東京を経由して名古屋へ戻る。宇都宮餃子をお土産にしよう。宇都宮の印象は「ジャズ」「カクテル」そして「餃子」といったところか(またしても呑むこと、食べることになってしまったが)。
10月2日(金)As time goes by
イーブニングセミナー終了後、名大小児科のI先生、N先生そして久しぶりに会う島根医大小児科のO先生と宇都宮の中心部にあるいろいろな飲み屋が集まったところで呑む。カウンターに5,6人も座ればいっぱいになるような店だったが、昔懐かしい居酒屋という感じで酒、焼酎などを呑む。O先生はいつも楽しく酒を呑める友人でもあるが、甲状腺の分野(分子生物学)でのかなりのレベルの研究でこの領域では小児内分泌の第1人者である。この研究でもお酒でもスーパーなO先生とひと時を過ごしてI先生やN先生も感銘を受けたようである。
この町はカクテルでも有名なようで、このあと4人で学会場に近い「泉町通り」にある「As Time Goes By」という店にO先生のお勧めで行く。看板も目立たず静かな店だが、カクテルもなかなかで雰囲気のいい店であった。「As Time Goes By」といえば私より上の年代の方はご存知と思うが、イングリッド・バーグマンとハンフリー・ボカートが主演するモロッコの町「カサブランカ」を舞台とするアメリカ映画(1942年)で歌われる曲である。第二次世界大戦を背景に、ヨーロッパよりこの町に避難してきた二人(元恋人同志)がこの町で再会し、ボカート(映画の中ではリック)が経営する店で黒人歌手のサムがピアノを弾きながら渋い声で歌うのがこの「As Time Goes By」である。この心にしみいるような暖かい曲は今でもジャズクラブなどで歌われている。二人が飛行場で別れるシーン(バーグマンがアメリカに向けて飛び立つ)と「君の瞳に乾杯」というセリフはあまりにも有名である(もっと書きたいのだが、今回はこのへんまでにしておこう)。
岩山先生の発表ポスター(脳腫瘍と成長)
宇都宮の居酒屋でごきげんな4人組: 上條、O先生、I先生、N先生
カクテルバー「As Time Goes By」 : 外からはほとんど分からない隠 れ家的バー
10月1日(木) 宇都宮餃子
このあと小児内分泌学会場にはいる。今回の会長である独協医大小児科教授の有坂治先生の開会の挨拶のあと、数々の口演発表がありどれも興味深いものであったがここでは省略する。学会初日の夜は名古屋から来た中堅―若手の先生と夕食。この町はジャズも盛んでいくつかのライブの店などがある。3人でその中の一つの店に入る(自由人とかいう店だった)。この日は演奏はなかったが、若き日の渡辺貞夫とこの店のマスターの少しくすんだ写真が印象的であった(渡辺貞夫はこの地の出身か)。
9月30日(水) 東京女子医大
この建物の2階の一室に約25人ほどの小児科の先生方(医局員)が集まり、そこで私が米国留学中と帰国後に行った「成長ホルモン遺伝子の解析」についてお話させていただいた。今から10年以上も前の仕事で恐縮ではあったが、これらの研究の歴史的な背景などを説明させていただいた。当然のことながらここでは女性医師が多く、約1時簡にわたる私の話を聞いていただいた。私の拙い話がこれら若手の先生方の臨床の場で多少でも参考になれば幸いである。
この後、永木先生や関係者とで食事に向かう。赤坂にある沖縄料理の専門店で料理と泡盛などを堪能する。創始者の吉岡弥生先生が静岡県掛川市(大東町)の出身で、看護学部がこちらにあることなどが話題となる。掛川は私ども夫婦で時々訪れる町で、以外なところで女子医大との縁があったことを知る。貴重な体験をさせていただいた永木先生に感謝しつつ、東京駅近くのホテルに戻る。
9月12日(土) 郡上鮎
この「吉田屋」という料理旅館は歴史のある宿で、あの食通で有名な「北大路魯山人」や数々の文化人が訪れたようである。郡上を何度も訪れているI君が予約をしてくれた。私たちが通されたのも趣のあるしっとりとした和風の部屋で、中庭の緑が小雨にぬれて美しい。温泉ではないが、きれいな水を沸かした風呂を浴びたあと夕食となる。いよいよ今回の旅の最大の目的である「郡上鮎」の登場。天然の鮎というと小ぶりというイメージが強かったのだが、かなりの大きさである。さっぱりとしていながら鮎独特の香りが何ともいえない。この他にも味噌で味わう鮎や、刺身など鮎尽くしの料理を堪能する。「吉田屋」の鮎は友釣りでとれる地元でも最高のものである。たまたま先週東海テレビで、郡上に残る最後の鮎釣り名人が紹介されていた。この名人が釣る天然鮎がこの旅館に納められるようである。この鮎尽くしにすっかり満足した私は、いつもより早めに眠りにつく。
8月30日(日) 「 一社アレルギー科・こどもクリニック」 開院
清潔で明るいクリニックで、面積は私どものクリニックと同じくらいとお聞きしたが、天井が高い分より広く感じられる。この日は内覧会のためかカラフルな風船が置かれ、こども達もそれをもらって楽しそうにしている。診察室やレントゲン室も明るく工夫され使いやすそうである。また当然のことながら内装も「シックハウス」対策が十分なされている。
以前上飯田第一病院小児科に勤務していた看護師さんが常勤として活動するようである。鳥居新平先生は火曜日の上飯田第一病院のアレルギー外来は今後も続けられるとのことであった。「一社」に来ることはこれまで少なかったのだが、地下鉄駅の近くにはかなり多くのクリニックがある。鳥居先生のクリニックには名古屋市内あるいは県外からも多くのアレルギーの患者さんが訪れることだろう。いずれにしても市内の名東区と北区に信頼できるアレルギー科があることは、患者さんにとっても心強いことと思う。
7月18日(土) 秘湯福地温泉(奥飛騨温泉郷)
高山駅からバスで平湯へ向かう。平湯から新穂高温泉行きのバスに乗り換える。「福地温泉下」というバス停で降りると、今日の宿泊先である「湯元 長座」が目の前にある。山の斜面を利用したとても大きな宿で、面積は数千坪あるとのことだ。入り口から帳場までかなりの距離を歩く。どの建物も古い味わいのあるもので、梁などは非常に太く黒光りしている。私たちの泊まった部屋にも「囲炉裏」があり、広々として快適である。温泉は部屋からかなり歩いたところにあるが、浴槽は檜ばりで、お湯も大変良い。部屋からも温泉からも回りは美しい緑の自然がみられ、大自然の中にいるという感じになる。夕食も飛騨牛や地元の食材でおいしい料理を囲炉裏であぶりながら楽しむ(もちろん地酒も)。この食事中に宿のご主人が挨拶にみえる。この福地(ふくじ)温泉は歴史は古い(平安時代ころより)のだが温泉宿ができたのは比較的新しく、このご主人も元は農家だったのが40年くらい前にこの宿を作ったとのことであった。古い豪農の館を移築してできたのがこの「湯元 長座」である。この宿は一部温泉好きの間では有名で人気があり、「日本の秘湯」として登録されている。この夜は自然に包まれるようによく眠れた。
7月17日(金) 少し早めの夏休み
7月16日(木) パリ祭り 2009
第2部はまた山本リンダの「巴里の屋根の下」ではじまる。ゲストの安奈淳(元宝塚)が「アコーディオン弾き」など、戸川昌子が面白おかしく「商売やめた」(この人はコメディアンだったか?)を歌う。そして今回のゲストのなかでも最大級の歌手は「雪村いづみ」である。この人は「美空ひばり」「江利ちえみ」などと当時三人娘として活躍した歌手で、今はかなりの年齢になるはずだ。「雪村いずみ」がまだ現役歌手として歌い続けていることをうかつにも知らなかった。さすがに見かけでは年齢を感じさせるが、歌声は昔のように若々しくはりのあるものだった。第2部の最後(オオトリ)はおなじみの菅原洋一で「バラ色の人生」を美しく歌い上げる。菅原洋一は「今日でお別れ」などで有名な人だが、最近はシャンソンをよく歌っている。
今年のパリ祭は一緒に参加した友人たちも楽しんでくれたようだ。かとうえいこさんの歌が1曲だけだったのがやや残念ではあったが、あれだけの大物歌手が揃えばしかたないことか。とっくに60歳を超えた菅原洋一や雪村いずみがほんとうにすばらしい仕事をしているところを目の前にして、私などまだまだ努力しないといけないと感じた一晩だった(仕事、音楽、家族、酒?)。このあと榊原洋子ちゃんたちと夕食を兼ねた呑み会となったことはいうまでもない。
7月4日(土) 3回目の七夕祭り
音楽の後は保育士の森さんと鞆さんによる「絵本」の読み聞かせや、「おもちゃの楽器つくり」などで楽しい時を過ごす。それぞれ記念写真を撮り閉会となる。短い時間であったが皆さんが喜んででいただけたようで、私共スタッフにとってもほっとする瞬間であった。
6月27日(土) はじめての接遇講座
ある製薬会社の後援で実現した講座だが、これからも続けてほしいという参加者からの声が多かった。また今後の課題もいくつか見つかった。このあと時間の余裕のある者でビアガーデン(中日ビル)に行く。この梅雨時、勉強の後のビールはいつにも増しておいしかった。
5月9日(土) クリニック開設3周年
乾杯に続いて、クリニックの新しいあるいは去るスタッフのご挨拶をさせていただいた。私どもの会ではいつも音楽を楽しんでいるのだが、今回は名古屋を中心として活躍し、私共夫婦とも長年の友人である「かとうえいこ」さんにシャンソンを披露してもらった。ピアノとシンセサイザーをバックに「百万本のバラ」や「愛の賛歌」など日本人にもなじみの深い数曲を歌ってもらった。シャンソンは初めてという方も多く、もうベテランといってよい「かとうえいこ」さんのディナーショーのようになった。「榊原ようこ」夫妻にも、今回は歌手としてではなく招待客として参加していただいた。
シャンソンを楽しんだ後、中日ビルより歩いていける距離にある店で二次会となる。ここにはカラオケがあり(最近こういう店は少なくなった)皆それぞれに好きな歌を歌って時を過ごす。「榊原ようこ」ちゃんも歌ってくれた(プロがカラオケを歌うのは珍しいことだが)。こうして宴会は夜更けまで続く。3周年を何とか迎えることはできたが、ヒトでいうとやっと3歳になったばかり。これから更にスタッフ一同努力して、地域の皆さんからより親しまれ必要とされるクりニックにしていきたいと思う。次は5周年をめざして・・・。
4月26日(日) 萩原朔太郎
タクシーで市内に戻り、前橋文学館を訪れる。ここは記念館より規模が大きく、朔太郎の他にこの地の出身の詩人、作家などの紹介もされている。北原白秋(東京)や室生犀生(金沢)なども時々前橋を訪れたようである。彼の代表作である「月に吠える」や「青猫」の初版本や、生の原稿なども展示されている。彼の詩には近代人特有のの「孤独」あるいは「漂泊」といった印象がいつもつきまとっているように感じていたが、「音楽家を目指して東京に出るが夢はかなわず帰郷する」といった生い立ちを知ると背景がわかるような気がする。前橋という町は文学の町でもあることを実感した。
午後高崎から上越新幹線で東京に戻り、名古屋には夕方到着。今回もあわただしい旅であったが、O先生との再会や前橋を知るよい機会であったと思う。
4月25日(土) 前橋市
4月24日(金) 第82回 日本内分泌学会(群馬)に参加
4月19日(日) 久しぶりの奈良
次に奈良国立博物館のすぐ隣りにある「興福寺」を訪れる。奈良時代(平城京)に藤原氏の氏寺として西暦714年に金堂が創建されたという歴史をもつ「興福寺」。あの少年のような顔立ちの「阿修羅」像が有名であるが、今は東京国立博物館に出展されていて残念ながら見ることができなかった。だがさすがに歴史のあるお寺だけに、「千手観音像」など教科書に載るような仏像が数多く展示されていた。興味深かったのは「聖徳太子 二歳像」である。このような像があることを知らなかったが、その姿(体形)は確かに2歳児の特徴を備えている。修学旅行の学生さんが多くみられた。このあとJR奈良駅より「法隆寺」駅まで行き、世界最古の木造建築である「法隆寺」(世界文化遺産)を訪ねる。小学校時代に一度きているはずだが、ほとんど記憶にない。推古天皇と聖徳太子が西暦607年に本尊の「薬師如来」を造られたのがこの「法隆寺」(斑鳩寺)の始まりのようだ。教科書に出ている仏像など(玉虫厨子など)が数多くあるこの寺でも「百済観音像」はひときわ輝きを放っている。日本の多くの仏像とちがって、八頭身のすらりとした姿と慈悲深い表情はいくら見ても見飽きない美しさである。法隆寺には当然のことながら聖徳太子の像や肖像画などが多く展示され、「二歳時」と「7歳時」の像があった。今日はかなり暖かく、「法隆寺駅」へ向かうバスを待つあいだに食べた「柿」ならぬ「抹茶」アイスが妙に懐かしい味であった。近鉄奈良駅より京都を経て新幹線で名古屋に戻るともう夜となっていた。
4月18日(土) 第112回 日本小児科学会(奈良)
3月20日(日) 内田修ジャズコレクション
内田修先生はジャズの世界では「Dr.Jazz」として余りにも有名で説明する必要もないが、簡単に紹介しておこう。先生は名古屋大学医学部を卒業、第2外科に入局され関連病院で外科医として活動された後、1961年に実家の内田病院に外科を開設された。医学部在学中にジャズと出会われ、医療のかたわら日本のジャズの発展に貢献され、渡辺貞夫、日野皓正、山下洋輔といった今ではジャズ界の巨匠といえるミュージシャンを彼らの若い時から応援されたことは有名な話である。 リブラに入るとすぐ左手に「内田修ジャズコレクション展示室」がある。先生が集められた多くのジャズのレコード(約1万2000枚)やオープンリールテープなどが展示され、試聴コーナーでは貴重なジャズ(未発表作品も含め)をその場で聴くことができる。また内田病院の地下にあった「ドクターズ・スタジオ」が再現されている。その当時最高のオーディオもさることながら、ここは若き日のミュージシャンが演奏したり寛いだりしたオアシス的空間だったようである。
3月1日(日) NPO法人「なごやか親子ネット」設立記念講演会
まず理事長(予定)の上條浩子よりこのNPOの主旨の説明と開会の挨拶をさせていただいて、講演会(2講演)に移る。最初の講演は総合上飯田第一病院小児科部長の後藤泰浩先生の「就学(園)までにすませておきたいワクチン」という題で、MR(麻疹・風疹)ワクチンを中心に話していただいた。このワクチンは以前は1歳時に1回のみの接種(第1期)であったが、現在は小学校入学前の1年間(第2期)に定期接種(公費)が行われている。幼稚園の年長児でまだこのワクチンを済ませていないお子さんは、この3月31日までに完了してほしい(それ以降は任意接種:有料となる)。また経過措置として中学1年生(第3期)と高校3年生相当の方(第4期)も定期接種:公費ができるので、やはり3月末までに済ませていただきたいことを強調された。従来麻疹(はしか)は子どもの病気であったが、1歳児での接種が普及したため子どもでの発症は少なくなり、むしろ大人(20-30歳代)に見られる傾向があるようだ。大人の麻疹は診断が容易でなく、時に重症となる症例が紹介された。またこのところ幼稚園などで流行している水痘(みずぼうそう)や流行性耳下腺炎(おたふくかぜ)のワクチン(任意接種:有料)もできるだけ済ませてほしいとの話をされた。欧米に比べて立ち遅れている日本のワクチン接種の現状について具体的に解説された(米国では麻疹の発症は年間数十例とのこと)。
ひき続いて岐阜女子大学教授の平松清美先生の「自信を持ってのびのび子育てしませんか!」―自立支援で心もからだも健康にーという講演に。小学校長など現場経験の豊富な平松先生らしく具体的で実践的なまたユーモアあふれるお話であった。自信のないお孫さんの例などあげられ、子どもが本来持っている能力や可能性を家族を含めた大人が引き出してあげることが重要であることを強調された。 せっかくの能力も「不安」「自尊心の欠如」などというマイナスの要因により伸ばされないことがあり、これらを取り除くのが親や教師など大人の役割である。また現代は子育てが孤立した環境で行われることが多く、家庭だけでなく地域のコミュニティとの連携も必要であることを話された。親と子がちょっとした工夫で楽しく遊べることも紹介された(紙とストローでできる簡単な遊びなど)。「子育てに一人で悩まないで、親として自信をもってのびのび育てましょう」ということで講演は終了した。今回のイベントのテーマである「子育ての輪を広げよう」にふさわしい講演であった。
これらの講演と並行して「手作り体験講座」も行われた。「樹脂粘土でつくるカラフル小物」と「ドライフラワーでつくるフラワースイーツ」に多くのお子さんが参加した。女の子の参加が多かったが皆それぞれ楽しんでいた。会場が栄の中心部(松坂屋近く)であったためか、帰りには買い物や食事などをされる方が多かったようだ。4月にはこのNPOが正式に認可される見通しで、「子育て支援」の各種活動が開始される予定である。
名古屋の小児科なごやか日記
12月31日(水) 大晦日
朝食、朝風呂を済ませAM10時少し前に宿の送迎バスで鳥羽へ。荷物を駅のコインロッカーに預け、鳥羽水族館の近くにある「鳥羽オルゴール館」に行く。ここでは多くのオルゴールの展示販売のほかに、自分で好きなパーツを選んで体験できるコーナーがある。妹と姪は30分以上かけてオルゴール作りを行う。姪は海底をイメージさせる青を基調とした可愛らしいオルゴールを作成した。一方妹は森をテーマとした落ち着いた感じのオルゴールを私たちにプレゼントしてくれた(妹は創作ジュエリーの教室などをやっているのでプロのようなものだが)。
次に「ミキモト真珠島」を訪れる。ここは何回も来ているが、養殖真珠の原理や加工など詳しく説明されている。美しい真珠を得るために多くの時間と労力が費やされていることがわかる。この真珠博物館の2階には真珠を使ったアンティークジュエリーが展示されている。200年以上も前のヨーロッパの作品まで紹介されている。こんな時代にヨーロッパで真珠(養殖ではなくて天然)が珍重されていたのだ。これらの古典的な作品が妹には創作ジュエリーの参考となったようだ。この後鳥羽駅の近くにある小さな店でひおき貝(地元では「あっぱ」という)、さざえ、牡蠣などを焼いてもらってその場で食べる。これも鳥羽へ来る楽しみの一つである。近鉄で名古屋にPM4時半ごろ到着。
妹たちとは名古屋駅でわかれ、タクシーで栄にある元Be Vappのママのマンションに向かう。正月用のおせち料理を作ってもらったため立ち寄ったのだが、このブログでもおなじみの榊原洋子ちゃんやご主人の中井さん、武藤祐志君にひとみちゃんなどが来ており、一緒にビール、お酒などを呑む。いつものメンバーで盛り上がり、まるでBe Vappにいるような感じであった。ひとしきり楽しんだあと、3人の女性が作ってくれたおせち料理をいただいて家に帰る。今年は例年より賑やかで楽しい大晦日であった。
名古屋の小児科なごやか日記
12月30日(火) 年末は温泉で
29日(月)で今年最後の診療を終える。朝からPM5時半までの診療であったが、年末で休みにはいっている診療所もあるためか多くの患者さんに来ていただいた。今年はインフルエンザが各地で早い時期よりみられたが、少なくとも
私共夫婦は正月に仕事が入ることが多いため、年末30日に温泉に泊まって体を休めることにしている。来年も1月は家内が1日当直(成田病院)、私が2日休日診療(
風呂をあびてからいよいよ夕食となる。土地柄伊勢えび、ひらめ、あわび、さざえなど海の幸は豊富である。この宿のご主人が料理人ということで料理の質も良い。質もさることながら、食べきれないほどの量である。高校2年生の姪は体重を気にして普段は食事は控えめにしているようだが、この日は解禁とする。皇太子が好きな日本酒としても有名になった「黒龍:福井県(石田屋)」の端正なこくのある香りと刺身のさっぱりした味がよくあう。温泉でリラックスしたせいか、いつもより早く床に着き朝までぐっすりと眠れた(最近は朝4-5時くらいに目覚めてしまうことが多いのだが)。








